無料ブログはココログ

« 市民活動ガイド(電子出版)のお知らせ | トップページ | ウメサオタダオ展を見て »

2012年1月17日 (火)

演劇と身体知の転移~多文化ソーシャルワーク実践者講座に参加して~

1月14日、今年で4回目を迎える多文化ソーシャルワーク実践者講座が始まった。目的は、「外国籍県民が抱えるさまざまな課題の解決に向けて、文化的背景の違いを踏まえながらケースワークを行うなど、多文化共生の相談役・推進役として活動しているソーシャルワーク実践者のスキルアップを図るための知識等を学」ぶこと。全体プログラムは下記URL参照。
今年も、第1回目に、「基調演劇」の上演があった。寸劇のタイトルは、「もみじ団地の物語~ある不審な男をめぐって~」。酒乱癖のある日本人の夫とフィリピン人妻の夫婦、ベトナム難民の老夫婦が暮らす団地に、一人のペルー人男性が訪ねてくるところから物語が展開する。日比の国際結婚カップル、ベトナム人の老夫婦、ペルー人労働者、それぞれの人生の悩みと彼・彼女らを取り巻く社会環境が、約25分間の寸劇の中に凝縮されている。講座のゲスト・スピーカーも務めるセサル・ホルダン・池田氏が、構成・演出・演技指導を担当。俳優陣は、講座の1期生から3期生までの有志ほか。
Photo_5


基調演劇(3回~5回目の講座で活用する事例をモチーフに構成されたオムニバス形式の寸劇)は、2回目以降、受講生が取り組むことになる多文化ソーシャルワークをめぐる様々な課題とソーシャルワーク実践に必要な「価値・倫理」形成への「問い」が埋め込まれており、演劇鑑賞後に、講師がソーシャルワーク実践のイメージを取り出すという構成になっている。

演劇上演を通じて受講生の脳裡に刻まれた三つの物語は、第3回目以降の講座の中で、再び「事例」として取り上げられるのであるが、この時には、鑑賞の対象としての「物語」ではなく、受講生が自ら解決すべき「現実の課題」として登場することになる。

今年度の講座では、演劇上演後に、受講生が車座になって感想を述べ合うワークが行われた。演劇上演に触発されて、自らが小学校時代に遭遇した「外国人児童のいじめ」体験について語る受講生がいた。

演劇表現の中に現れる問題を、自分事として感受すること。演劇鑑賞の過程の中で、演じ手と鑑賞者の間で「情念の交流」のようなものがうまれているのではないか。演じ手の身体に宿る魂に共振すること。こうした環境の中で、「身体知の転移」が生じるのではないか。「バイスティックの7原則」を知識として覚えるだけでは、概念の本質をつかみ取ることはできないのだぁ…(この原則も、一つひとつ自分の問題に引きつけて理解するのであれば、重要な示唆を含んでいるとは思うのだけれど)。

鑑賞者が演じ手の情念に感応するプロセスのことを考えていたら、突然、僕の意識の中に、森岡正博の“意識通信”という概念が閃いた。(『意識通信-ドリームナヴィゲイターの誕生』ちくま学芸文庫、2002年)

森岡は、人と人とのコミュニケーションは、単なる情報のやり取りではなく、Aさんの身体の一部である「触手」が伸びてきて、Bさんに触るようなやり取りが成立していると考える。「触手」が伸びて相手に触るというのは、勿論比喩表現ではあるが、演劇鑑賞の中で起きているコトの本質を言い当てているように思われる。

森岡は、非常に早い段階(1993年)で、電子ネットワーク上でのコミュニケーションにおいて、“意識通信”という現象が起きているとの仮説を説いた。この“意識通信”という考え方。僕にはとても興味深い。「シャノン=ウィーヴァー・モデル」が、コミュニケーションを「情報」の伝達の過程としてとらえるのに対して、森岡は、K・レヴィンの「フィールド・セオリー」という概念を援用しながら、コミュニケーションの過程で、「情報」交換以上の「意識間交流」が起きていると考える。僕は、森岡の言う“意識通信”を、「情念(あるいはエロス)の交流」という表現に言い変えたら、さらに面白くなると思っている。

“意識通信”について、さらに詳しく知りたい方は、以下のURLを参照してネ!

http://www.lifestudies.org/jp/ishiki03.htm

「演劇と身体知の転移」というテーマ、今後も深めていけたらと思う。 

« 市民活動ガイド(電子出版)のお知らせ | トップページ | ウメサオタダオ展を見て »

教育・福祉」カテゴリの記事

トラックバック

« 市民活動ガイド(電子出版)のお知らせ | トップページ | ウメサオタダオ展を見て »