無料ブログはココログ

« 演劇と身体知の転移~多文化ソーシャルワーク実践者講座に参加して~ | トップページ | 今フューチャーセンターが注目されている »

2012年2月18日 (土)

ウメサオタダオ展を見て

Rimg0382_4日本科学未来館で開催中の「ウメサオタダオ展」に行ってきた。国立民族学博物館の初代館長を務めた梅棹は、民族学にとどまらず、情報学や文化政策など、広範な学問分野を横断する「知」を生産した。「ウメサオタダオ展」では、梅棹が残した膨大な資料群の中から、海外で記したフィールドノーツやスケッチの一部(複製もあり)や、年表形式で辿るライフストーリーが展示されていた。http://www.miraikan.jst.go.jp/sp/umesaotadao/

僕も、若い頃、梅棹の『文明の生態史観』や『知的生産の技術』、『情報の文明学』などの著作を読み、様々な刺激を受けたものだ。京大カードを買ってきて、自分の知的発見をカードに記入したこともある。が、結局、長続きしなかった。梅棹が、好奇心をもって見つめる対象物を徹底的に記述しようとする知的エネルギー、及び、次々と新たな学問分野を渉猟していく「貪欲さ」は、尋常ならざるものがある。そのことは、彼が所属・設立に関わった学会の数の多さに表れている。

僕が梅棹の功績で注目したのは、小松左京らと共に創設した「未来学」という分野。そこにはすでに、バックキャスティング的な視点があるし、数十年、数百年という、非常に長い時間軸で物事を視ようとする姿勢が見られる。現在の日本社会は、短期的な業績にばかり目を奪われ、長期スパンで物事を展望することが難しくなっている。梅棹が活躍した時代には、深い学問的な知見をもとに、ダイナミックに歴史・世界を読み解き、未来を構想できる人材が、梅棹以外にも少なからず存在していたと感じるのは、僕だけだろうか。

また、梅棹は、パブリックな立場で政策研究を行う総合研究開発機構や、文化外交を担う国際交流基金の役割の重要性を的確に見通していた。NIRAの政策研究力が低下し、国際交流基金の事業の一部が事業仕訳で廃止されるなど、政策研究や国際文化交流の政策的な位置づけが弱まる時代になってみると、改めて、長期的な展望をもって政治に訴えかけていく研究者や文化人の存在のありがたみがわかるような気がした。

こんなことを考えていたら、急に、小松左京の『地球を考える対談集』を読みたくなってきた。さてさて、どこにしまったことやら? やっぱり、僕には、『知的生産の技術』を実践することは難しそうだ。

« 演劇と身体知の転移~多文化ソーシャルワーク実践者講座に参加して~ | トップページ | 今フューチャーセンターが注目されている »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ウメサオタダオ展を見て:

« 演劇と身体知の転移~多文化ソーシャルワーク実践者講座に参加して~ | トップページ | 今フューチャーセンターが注目されている »