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2013年1月 6日 (日)

『ラーメンと愛国』速水健朗著(講談社現代新書)を読んで

正月に、好物のラーメンを題材にした本を読んだ。
太平洋戦争後、パンが学校給食の主食となった背景に、米国の余剰小麦の輸出戦略があったという話は、広く知られている。しかし、日清食品の創業者、安藤百福が、パン以外の小麦の用途として麺食に着目し、「チキンラーメン」を発明して全国に普及させていった経緯を知る人は少ないのではないか。

チキンラーメンが誕生した1958年、僕は生まれた。幼少期を過ごした1960年代は日本全体がまだ貧しく、イチゴなどの果物は日常食として食するには高価だった。こういう時代に、安藤百福は、チキンラーメンの量産体制を整備し、テレビCMを介して、“工業製品としてのラーメン”を普及させることに成功する。

チキンラーメンの成功の裏には大量生産の技術があったが、その生産技術を日本に導入・普及させるうえで多大な貢献を果たしたのが、1947年、米国から派遣された統計学者のデミング博士である。博士は、日本の統計学の指導ために来日したのであるが、国内の経営者たちに品質管理を含む経営学を伝授することにも熱心に取り組んだ。博士の薫陶を受けた人々が、短期間で日本の生産技術を飛躍的に向上させたという。

1970年代になると、田中角栄の『日本列島改造論』をベースに公共事業による地域開発が進み、全国の景観が均質化していく。こうした動きに対して、地域独自の名物を観光事業の起爆剤にしようとする動きが起きてくる。喜多方ラーメンに代表される「ご当地ラーメン」も、そうした動きの一つと言える。一部店舗で提供されたメニューが、その土地を代表する「郷土食」であるかのような装飾を纏って売り出され、観光事業の目玉となる。

これについて筆者は以下のように述べる。
ご当地ラーメンは、地域の特産物や風土に時間をかけて馴染むことで生まれたわけではない。あるとき、変わったメニューを出したラーメン屋にスポットが当たり、その店がメディアなどで知られるようになることで、観光客がやってくる。そして、地域の観光化にともない、周囲の店が右に倣えで同じメニューを提供するようになる。これがご当地ラーメンが生まれる経緯だ。p.150

そして、食文化史研究家の岡田哲の推論をふまえて以下のように述べる。
北海道の札幌ラーメンと九州の博多ラーメンは、それぞれ別のルートで中国の北方、南方から伝わり、別々に進化した食べものだというのである。(中略)札幌ラーメンと博多ラーメンは、「ラーメン」という標準語が生まれたとき、同じ料理のバリエーションであるという都合のいい書き換えが行われただけで、本来は別のルーツを持つ別の料理である可能性が高いのだ。p.152

続いて筆者は、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』の理論(共通の言語が、国民意識を醸成する)を援用しながら次のように述べる。
我々は、ラーメンという共通の食文化を持つ民族であり、ラーメンを愛する同じ日本人であるという共通の意識をもっている。つまり、チキンラーメンのCMによって「ラーメン」という「共通語」「国語」が生まれて以降、日本人はラーメンを通して国民意識を形成しているのだ。(中略)これを、アンダーソン風にネーミングするなら、「味覚の共同体」とでも言ったところだろうか。p.155

うーむ。この本には教えられることが多いが、アンダーソンの『想像の共同体』から、いきなり、「ラーメンを通して国民意識を形成しているのだ」と言い切ってしまうのは、少々飛躍し過ぎではいないだろうか。

さて、ご当地ラーメンブームにのって生まれてきたのが、「ラーメン通」と呼ばる一群の人々である。そして、彼らの豊富な知識を活用しつつ生まれたのが、1994年に新横浜に誕生した「新横浜ラーメン博物館」である。筆者は、当該博物館の役割を次のように述べる。
ラーメン博物館は、ご当地ラーメンという物語を収集し、それを歴史として確定する役割を果たす。それは、言い換えるなら、単なる“地方のラーメン”を“ご当地ラーメン”という魅力的な歴史大系に組み込み、別の価値を生み出すということである。ご当地(郷土)ラーメンとは、日本の豊かな自然に根ざした食文化や、土地固有の歴史や風物が織り込まれた土地それぞれの個性的なラーメンが存在するという物語だ。(中略)歴史とのつながりが一旦切り離されてしまった現代において、ラーメンは、再び魅力ある日本の歴史や伝統を語る材料になった。その物語を紡ぎ、大きな流れをつくった存在として、ラーメン博物館の存在と功績は評価されるべきものである。pp.180-181

1990年代に入ると、テレビ局がラーメンをテーマにした番組を好んで制作するようになり、その中から、スターが生まれてくる。環状7号線沿いの「なんでんかんでん」の店主・川原ひろし、『ガチンコ!ラーメン道』で指南役となった佐野実(支那そばや店主)らは、テレビというメディアが生み出した有名人だ。この時期、『ガチンコ・ラーメン道』等の番組を通じて、ラーメン作りが職人芸に支えられる匠の世界であるとの神話がつくられていく。

「ラーメン道」という精神文化(?)がメディアを通じて国民に浸透するのと同時並行で、ラーメン店内部には、ある変化が起きていた。1980年代まで、ラーメン店の店主や店員は、白いコックスーツや中華風エプロンを身にまとっていた。それが、1990年以降になると、店主らは、頭にバンダナやタオルを巻き、作務衣もしくは手書き漢字をプリントしたTシャツを着るようになる。筆者によれば、ラーメン店の店主らが作務衣を着るイメージが一般化するきっかけをつくったのは、おそらく「博多一風堂」創業者の河原成美であるという。さらに、1990年代に始まったラーメンの変革は、ラーメンという名称そのものにも及ぶ。最近は、ラーメンという呼称の代わりに、「麺屋」「麺家」など「麺」という漢字をあてる店が圧倒的に多くなっているという。

最後に、中華そばからスタートした「ラーメン」が、1990年代以降、「和=日本の伝統」と結びつきを強めるようになった背景について筆者は次にように述べる。
歴史とのつながりが一旦切り離されてしまった現代において、ラーメンが、再び魅力ある日本の歴史や伝統を呼び起こそうという意識の媒介者となっていることは否定できない。固有の風土や特産物を反映するものだとする「ご当地ラーメン」という物語、大量生産ではない職人の匠が再評価されるラーメン職人の世界、復活した近代以前の風習であるのれん分け制度等々といった、日本社会が一旦は捨てたはずのさまざまな伝統や制度が、再びラーメンの世界に浮上してきているように見える。p.262

ラーメンとナショナリズムの関係に関する記述については、少々牽強付会な論理展開も見られるが、ラーメンをめぐる薀蓄話には、ラーメン愛好家以外の読者もきっと興味を唆られると思う。

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