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2016年3月 6日 (日)

「サードプレイスがまちを変える~わくわくできる居場所づくり~」に参加して

今日は、三鷹市市民協働センターシンポジウム「サードプレイスがまちを変える~わくわくできる居場所づくり~」に参加。
https://www.facebook.com/events/201538603531958
 
●日時:2016年3月5日(土)午後1時30分~5時
●会場:三鷹市市民協働センター
●主催:NPO法人みたか市民協働ネットワーク
●趣旨:
ここ数年、つながりが薄くなったコミュニティを再生する取り組みとして、サードプレイス(=地域の居場所)が注目されています。個人が自由に出入りでき、多様な人々がつながって豊かな関係性を構築するための地域の居場所をどう作っていくか、先進的な事例から学びたいと思います。
≪ゲストスピーカー≫
◆秋田光彦さん(應典院 住職)
 浄土宗大蓮寺住職、應典院住職、パドマ幼稚園園長。
1955年大阪市生まれ。明治大学文学部卒業後、情報誌や映画製作などにかかわり、1997年に大蓮寺創建450年記念事業として劇場型寺院應典院を再建。以後20年にわたって、市民、コミュニティ、地域資源のあり方を具体的に提案し、実践し、市民活動や若者の芸術活動を支援してきた。また、人生の末期を支援するエンディングサポートをNPOと協働して取り組むなど、劇場寺院應典院を拠点として、仏教、アート、まちづくり、コミュニティケアなど、「協働」と「対話」の新しい地域教育にかかわる。相愛大学客員教授。
 著書に『葬式をしない寺−大阪・應典院の挑戦』(新潮新書)、『今日は泣いて、明日は笑いなさい』(メディアファクトリー)、『仏教シネマ』(文春文庫/釈徹宗氏との共著)等。 近著に責任編集を担当した『生と死をつなぐケアとアート』(生活書院)などがある。
◆堀内正弘さん(シェア奥沢 オーナー)
 1954年7月東京生まれ。東京芸術大学、東京大学大学院、イエール大学大学院、東京農業大学大学院修了。建築家、コミュニケーションプランナー。多摩美術大学デザイン学科教授、NPO法人土とみどりを守る会代表理事。
 環境負荷を低減させ、心豊かに暮らせる都市環境を実現するために、都市計画、市民活動などの多様な経験を活かし「顔の見える小さな集まりから」の実践に取り組む。クールシェア、ウォームシェアの提唱者。2013年7月7日、長らく空き家になっていた築80年の自宅の別棟を改装(世田谷区の「空き家等地域貢献活用モデル事業」に採択され、助成を受けた。)して、私設のコミュニティ・スペース「シェア奥沢」としてオープン。地域に眠るリソースを活用した、市民の手による地域のコミュニティ拠点づくりのモデルとして、注目を集めている。
◆長田英史(おさだ てるちか)さん (NPO法人れんげ舎 代表理事)
 1972年神奈川県茅ケ崎市生まれ。和光大学経済学部経営学科卒業。1990年、「子どもの居場所・あそび場づくり」の市民活動に学生ボランティアとして参加し、卒業後は就職せず、それを仕事にする。いまも子どもたちにかかわる「場」を守りながら、長年の経験を活かして、他団体へのコンサルティング、講演、執筆などを精力的にこなしている。
 1996年に任意団体としてれんげ舎を設立、2002年にNPO法人化。2003年、地域の人との接点と財政基盤強化のため、カフェ「金魚玉珈琲」を出店。2010年より、自分たちの活動経験のなかで、他の個人や団体でも活用できる要素を「場づくり」という観点からコンテンツ化し、「場づくり支援事業」を本格化。いわゆる中間支援組織ではなく、自らも現場で活動する「プレイヤー」として、 「場づくり」の哲学とノウハウを共有し続けている。「場づくり」をしている人、始めたい人への情報提供のために、メルマガ「場づくりのチカラ」を無料配信している。http://bazukuri.jp/
●当日メモ
1、第1部
●堀内
シェア奥沢では、まちサロン(月2回)、集まって食事食べるだけ。
世田谷区の地域包括事業として、シェア奥沢が、住民主体型デイサービスを始める。
本来のシェアとは、持っている物を使ってもらう、余った物や労働をシェアするなど
○空き家活用の話
人 + 仕組み(シェア・マネージャーの必要性)
場 + 共通の関心事
○風の人 土の人
○共通の関心事
○1階→2階(共通のテーマあり)→3階(イベントやる→リビング・ラボ)
3階部分は、実践コミュニティ。2階、3階部分をつくる仕組みがないのではないか。
○見守る人
○ハレとケ(ただ食べる、コ・ワークなど)
○情報は、Share Hubで検索すると出てくる
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●秋田さん
日本の江戸時代、俗なる世界と聖の世界は、地続きだった。
そして、その後、大阪はどんどん開発されたが、開発で取り残された場所があり、そこに應典院を再建した。
今は、葬式をせず、集会施設として利用している。年間3万人。若い人が多く集まる。
○1995年 阪神・淡路大震災とオウムが出発点
○布教を目的としない公共空間としてのお寺
○葬式をしない市民参加型のお寺
最近は、臨床宗教士という言い方ある。
ドラッカーの本の中に、「非営利組織の出発点は、東大寺」という文章がある。
お寺は、「学び、癒し、楽しみ」の源流である。今の言葉に、翻訳すれば、教育、福祉、文化という領域となる。
お寺の事業では取組が難しいと考え、お寺とNPOの協働という形にした。
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今、当事者研究をしている。また、表現活動のサポートをしている。
臨床哲学カフェもその一環。
○無縁・格差の時代と若者たち
バブル経済崩壊後、若者たちが社会的弱者として位置づけられた。
○縁・場と関係性の仏教
今の社会は、利潤を追求することが唯一の目的になっている。
無縁所=アジールとしてのお寺(西洋のアジールは山奥にある。日本の無縁所は街中にある)
有縁・・・国家、無縁・・・お寺
表現とアートのコミュニティをつくっている。「場づくり=表現づくり」と考えている。「私と世界の関係」を読み直していく。
今、世の中は「わかり易さ」が重視されるようになっているが、現代アートは、わけがわからない。でも、「わけわからない」からダメなのか? カオスの中に自分の身を置くことの重要性があるのではないか。わかり易いことに、価値が置かれすぎている。
例えば、伝書鳩を飛ばすワークショップなどをやっている。
○カオス・まちの縁側
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都市という場は、ターゲットを絞っていく。効率的ではあるが、利用者が、自分の在りようを考えることができない。表現者としての「気づき」がない。
 
○「開く」原理と「閉じる」原理
拡張するだけでなく、もう一辺、個人に立ち返ることも必要ではないか。「息を吸う。閉じると」いうことの重要性。個人の内面性を見つめる。
千葉大学の広井良典さんが、
○コミュニティ・自然・スピリチュアリティということを言っている。
死生観を育むことが大事
今、「生前に申し込むお墓」というコンセプトで、「生前の相互交流」という事業をやっている。お墓には、名刺をもっていけないんですよ。
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○多死社会と単身社会
○多くの人が無縁になる。
○死後の不安と終活ブーム
○血縁から結縁へ
○支えあうコミュニティ
宗教的結縁、社会的結縁の図式
 
○お寺とNPOの生前契約
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2、第2部:シンポジウム
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●長田
堀内さんに質問があります。話の中で出ていた「土の人」、「風の人」とはどういう意味でしょうか。
●堀内
この言葉は、記憶があいまいだが、確か柳田国男の言葉だったと思う。要するに、「土の人」とは、町内会など土地の人。「風の人」とは、外からやってくる人を指す。共奏キッチンなどは、「風の人」で、「風の人」同士が出会うこともある。その出会いによって、実践コミュニティが生まれる。
●長田
「土の人」、「風の人」は、民俗学から来ているということでしょうか。さて、秋田さん、シェア奥沢の事例はどうですか?
●秋田
シェア奥沢の写真を見ていると、「飲み食い」の場面が多かったという印象を受けた。
昔と比べ、今は場のサイズがミニマム化している(つきあいの範囲が狭い)。人の関係の密度が濃くなりすぎていて、人と人が緊張関係に置かれている。
「結縁」は、仏教用語としては「仏(死者)と私」の関係を指す。
今の私たちの暮らしは、死者がつくってくれた遺産で成り立っている。「死者の権利・死者のデモクラシー(黙っている死者い伺いを立てる)」という発想が必要だ。
「無縁」という言葉は、NHKの番組で広がったが、仏教用語とは反対の意味。本来の「無縁」とは、絶対平等の世界のことを言う。すべてのものを包み込むという意味である。市民の権利をつくりあげていくときに、「死者の声」の入れるということが忘れられている。
場づくりには、主催者とのほどよい距離感が大事。「立ち合い続けるが、過剰に介入しない姿勢」と言ってもよい。
●堀内
自分の役割は、場を「見守る」こと。最近のファシリテーターは、人に無理にでも話をさせる促進役となることが多いが、「関わらない人の存在を認めて、その人の場所をみつける役割」が大事ではないか。
今のテレビ番組は、わかり易さが重視されすぎる。
●長田
ファシリテーションが大流行り。子どもの集まりに来ているのに、参加しないで、側で寝ている子がいる。これも参加の一つの形態。ファシリテーションには、もっと多様な参加の形態を許容し、認めていくことが大切。
●秋田
フィンランドのヘルシンキにプレイング・ホール(祈りの場所)という公設の場所があると聞いた。ここでは、佇む、ただただ沈黙することが大切にされている。
To have より To be(存在していること) をケアするということの重要性。
都市は、生産・消費だけで動いている。NPOは、この原理でない部分を世俗社会に伝えることをもっと重視すべきだ。意思をもった人があつまり、その「思い」を語っていくことが大事。
●堀内
大人はカフェという場に行ける。しかし、子どもには大人でいうカフェ(居場所)がない。以前は、空き地(秘密基地)があったが、今はない。
今は、すべてが合理的であることを求められ、遊びや余地がない。合理的に定義されていない空間が大事だ。子どもの居場所は、大人の居場所以上に必要である。
●長田
離島での人間関係は、密度が濃すぎる。ある男子生徒に聞いた話。自分が失恋した話が、翌日には、母に知られていたという。
一方、都会の子どもたちは忙しい。長い時間をかけて何かに取り組むことが難しい。細切れ時間しかとれない状況にある。
●秋田
以前、サロンを月2回やっていた。3年続けたが、やめた。それは、参加者の中に権力者が出てきたからだ。常連が居ついてしまうことで、場がダメになってしまった。。
居場所が心地良すぎることで、結果として他者を排除してしまうことがある。場は、時として排他的になることがある。
ソーシャル・キャピタルには、ボンド型(結束型)とブリッジ型(橋渡し型)の二つがある。
絆は(結束型)で、縁は(橋渡し型)。絆でなく、縁が必要では? 僕は、「居場所」でなく「つなぎ場」という言葉を使っている。
●堀内
コ・ワーキングや勉強会の後の交流会が、自分にとって「つなぎ場」となっていると思う。
●秋田
僕も、場づくりのアレンジメントはやっている。「審判」ではなく、「場所のメンター」をしている。座席配置などにも気を配っている。
●堀内
イベントの主催者は、コンテンツだけで一杯一杯だ。シェア・マネージャーは、気配りをする。気が付かないように動く。
●秋田
昔、映画をつくっていた。プロデューサーは、制作費など明日以降のことを考えている。監督は、撮影のことに没頭している。役者は、今ベストな演技をすることに没頭している。寄内さんは、プロデューサー役ではないのか。
●堀内
自分は、プロデューサー役とは思っていない。むしろ、照明や道具係りなど、細かいところに気をつかっている。コンシェルジュに近い存在。以前、自分は、コンサルタントは、コンシェルジュを目指せという文章を書いたことある。
●秋田
自分は、自身をプロデューサーだと思っている。何故ながら、一貫して、場に責任を持つ立場だからだ。映画でいうところの「寄り(アップ)」と、「引き(俯瞰)」の両方が必要である。
●長田
本来、癒しは、消費とは無縁だった。しかし、癒しという言葉が流行し始めると、癒しが消費されるようになった。癒しは、向こうから訪れるものだ。しかし、今、癒しは、消費社会に絡めてとられている。
●堀内
「スピリチュアリティ」は、本来、お金の論理ではない。オルデンバーグがいうサードプレイスとは、付加価値を指し、お金とは関係ない。お金儲けが目的な場は、サードブレイスではない。
●秋田
自己表現を、社会に対して伝えていく。「わかる人だけにわかってもらえば良い」という発想ではなく、表現を社会に開いていくことが大切。
●長田
オウム事件直後は、「自分の内側にある思いを表現するだけで、なんか怖いね」と言われた。今、コミュニティ・カフェがトレンドだが、形だけが先行している気がする。
●堀内
場所がなくても、自分にとっての居場所はできる。例えば、海外には、シアター・カンパニーが先にあり、後から劇場ができた。最初に活動ありきで、劇場が先ではない。
●秋田
居場所づくりに邁進しながらも、日本人は必ず、合理性を求めてくる。説明とか納得ということに、すべて世界が覆われないことが大事。「ためらう」とか「佇む」を内側に抱え込む覚悟が必要。もう一つのスピリチュアリティを保ち続けることが重要だ。
●長田
シェア・マネージャーには、どういう心がけが必要ですか?
●堀内
女性は、場の運営がうまい。男性は、どうしても合理性を追求しがち。シェア奥沢の利用者の女性から、学ぶことが多い。色々な主体が、相互に関係しながら自己組織化していくこと。奥沢の場合、シェア・マネージャーは一人ではない。
●秋田
自分は、相談が受けたら、「できる、できる。やったらいいよー」と言いながら、その人の肩を叩く。「見てくれている人がいること。励まし」が必要。もう一つは、コミュニケーションの場を確保していくことが必要だ。そのためには、自分自身の関心の枠を広げておくこと。とにかく、「できる、できる。大丈夫。見てるから。」ということ。
●長田
「なんだかよくわからない」を大切に! 「ことばにならないこと」を大事にしよう。
●秋田
主体的な「問い」をどれだけ連続させるか。宗教、哲学。「問い」の強度を高めていくこと。そして、「わけわからないことが大事」。
朝ごはんを毎日家族で食べること。毎日、ラジオ体操を繰り返すこと。こうした些細なことを毎日愚直なまでに繰り返していくことが、案外重要だ。別の言い方をすれば、それは、様式や儀式。型を持続させるとうこと。こうした様式の再興は、私たちが捨てたものを回復するという意味がある。
●堀内
シェア奥沢の試みは、人のためにでなく、自分のためにやっている。自分は、ラッキーだった。縁がうまく結ばれたのだと思う。ご縁を重ねていく。発信していると、縁は必ずやってくる。心がけが大事。
4月からデイサービス(デイサロン)を始める。

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