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2015年11月23日 (月)

濱田健司さん(農福連携について)

●第88回人むすびの場
http://www.terrestrial.co.jp/musubi/
1.テーマ:「農福連携が多様な課題を解決~三方よし、そして四方よし」
2.日 程 : 平成27年11月18日(金) 午後7時~9時
3.会場 :EIJI PRESS Lab(渋谷区恵比寿南1-9-12 ピトレスクビル5F)
4.内 容 : ☆ゲストスピーチ  濱田 健司(JA共済総合研究所 主任研究員) Img_4031_2
●何故農福連携なのか?
(1)農業分野の課題
農産物価格が低迷するとともに、主な担い手が高齢化(80代)し、後継者問題が深刻になってきている。
(2)福祉
都市部では障がい者が働く場として地域作業所をつくったが、賃金が低い。これまで地域作業所は、業務を発注する工場の下請け作業で就労を確保してきたが、企業の海外移転に伴い、下請けの業務自体が減少している。障がい者の自立、地域移行が求められている。
神奈川県平塚市の障がい者就労施設では、リーマン・ショック後、55%しか受注が回復していない。
(3)地域
 商店街の衰退、交通機関の問題、買物難民、医療・介護難民など。
●障がい者就労の現状
205万人の障がい者のうち、40.3%しか就労できていない。特に精神障害の人は就労が難しい。一方、当事者にアンケートをとると、約6割が「働きたい」と答えている。今後の課題は、賃金水準が低いことである。
●農業の現状
農業従事者数は、昭和35年から平成22年にかけて、2.6割減少。耕作放棄地が多く、全耕作放棄地を合計すると、埼玉県の面積を超えている。さらに放棄地は広がっており、滋賀県の面積を抜く日が近い。
●連携のススメ
個の持っているものとを最大限に引き出す。個と個が連携する。新しいものに積極的に取り組むこと。既存の延長ではなく、新しい商品・サービス・システムの創造することが重要である。
●これからの農福連携
・農業サイドからみると、
今後は障がい者が農地管理や食料生産の担い手となる。
・福祉サイドからみると、
 農産物生産での関わりを通じて、障がい者の就労訓練・就労につながる。
・双方が連携すると、
 障がい者が地域の農業を支える。農家等が障がい者の就労を支えるという構図となる。
●事例「福島県の西白河郡泉崎町」
・ケアホーム1箇所、グループホーム2箇所、就労移行支援事業所1箇所、就労継続支援事業所A型・B型、それぞれ1箇所。地域活動支援センター1箇所、直売所1箇所がある。
・川畑地区の直売所+カフェでは、自分たちの生産物以外に、他の農家・施設からの委託販売も請け負っている。170戸の農家が出荷している。
・また、移動販売も週3回やっている。
・チャレンジショップの「にこにこ屋(商店街の空き店舗活用)」では、精神障害のある人たちが「たまご」をつくり、加工も自分たちでしている。鶏卵生産(就労継続支援事業A型)1個30円から40円と、単価は安くない。月間の売上は600万から700万円。
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●障がい者就農による効果
 別添写真の一覧のとおり。
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●農福連携の具体的な事業形態
・障がい者委託訓練
・施設外支援
・企業の特例子会社による障がい者の雇用
●農商工連携から農福商工連携へ
・これからは、農商工連携(→農福連携→)農福商工連携という流れが理想。
・従来は縦割りが多く、カネの切れ目が縁の切れ目になることが多かった。
・農商工連携に「福(福祉)」を入れることで、連携が進みやすい。何故なら、福は人の「想い」なので。人を動かすのは、お金だけではない。
・まず、「想い」からスタートして、後から利益をのせていくという発想が大切。
●これからの地域のあり方
・地域の様々な組織が連携することが重要。それには、行政による支援、人材育成、中間支援組織育成が必要である。
・サービスの受け手が、サービス提供者にもなれるという逆転の発想が求められる。
・かつて農業従事者は、「百姓」と呼ばれていた。百姓は、家や家具をつくり、鶏を育て、農産物の加工もする。マルチタスクをこなす人材だった。
・これまでの「農」は農業のみ。これからの「農」は、林業・水産業に加え、エネルギー産業も含みこむ、より広い射程をもった産業領域として捉えることが重要である。
・これまでの「福」は、障がい者のみをみてきたが、これからは、要介護認定高齢者、難病患者、失業者、生活困窮者(受刑者含む)、元気高齢者、子供などにも「福」の範囲を拡張すべきである。たとえば、788万人が障がい者、600万人が高齢者とすると、日本の総人口の約1割は何らかの社会的弱者と言えるだろう。これ以外に、ひきこもりや受刑者など、働く意欲がないわけではないのに就労が難しい人たちがいる。実際、法務省から受刑者の社会的包摂の相談が来ており、いわゆる障がい者以外に、働き手の範囲を拡張することが求められている。
・三方良し事業(売り手よし、買い手よし、世間よし)という発想が必要だ。
●その他
新潟市では、教育行政が資金提供する「教育ファーム」を運営している。今後は、福祉サイドが資金を提供する「ケア・ファーム」などの可能性もあるのではないか。

2015年10月17日 (土)

第3回「子どもの貧困」講座を受講して

●日時:2015年3月14日(土)午後1時から3時(4回シリーズの第3回目にあたる)
●場所:川崎市ふれあい館
●講師:徳丸ゆき子さん(大阪子どもの貧困アクショングループ)
●主催:川崎市ふれあい館、川崎市教育委員会
●目的:人権尊重学級の一環として、年々深刻化する「子どもの貧困」について考える講座「子どもの貧困のない街をめざして」を開講する。
以下は、講演の骨子
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●子どもの貧困の現状と課題
・日本では、5時間に1人が餓死している。
・世界では、3秒に1人餓死している。
・貧困には、絶対的貧困と相対的貧困の2つがある。
・日本では、年間収入122万円以下を相対的貧困と定義している。現在、6人に1人が相対的貧困に陥っている。
・バブル景気の頃、10に1人が相対的貧困だった。それが少しずつ悪化し現在に至っている。
・小中学生段階と比べ、就学前の子どもと高校・大学生に対するが行政の支援が手薄と言える。
・シングルマザーの8割は働いているが、その多くはワーキング・プアー状態にある。
・関係者の働きかけもあり、子どもの貧困対策基本法が2014年1月に成立した。
・同法に基づき、同年8月に「子供の貧困対策に関する大綱」が出された。理念は素晴らしい。しかし、スクールソーシャルワーカーの増員などを除けば、全体として予算は非常に限られている。
・大綱では、「学習支援」を貧困対策とみなしているが、学習支援は貧困対策のほんの一部であり、これだけでは不十分だ。このままでは、「負の連鎖の固定化」が避けられない。
・貧国対策には、「生活支援」という福祉的視点が必要である。
・政府にはあまり期待できないので、自治体の施策に期待している。その点、京都は頑張っている。自治体の首長さんの判断で、貧困対策は大きく変わる可能性がある。
・現在、大阪市は保育園を民間に「移管」しており、民間が自由に条件を設定できるようになっている。
・私(講師)は、24時間保育には反対だ。24時間親が働かなくてもすむような制度を設計すべきだ。

●大阪での取り組みと今後求められること
・みつける「アウトリーチ」、つなげる「必要な社会資源につなげる」が重要だ。
・すでにプラスの状態にある人に支援をするよりも、マイナス状態にある人をゼロにすることに注力すべきだ。
・シングルマザーの2つの事例を紹介した後、ネグレクトとデートDVが多いとの話。
・子どもの貧困→大人の貧困→次世代の貧困というサイクルがあり、これを絶つことが必要。
・例えば、「みつける」という段階では、夜回りをしたり、商店街に「子ども支援の連絡を書いた」チラシを置いてもらうことをしている。1000枚撒いて3件程度の反応だが、色々なチャンネルを活用することが大事。
・お勧めなのが、調査を通じてつながること。
・そして、調査報告をしたら、メディアに取り上げてもらうことも重要だ。
・課題をもった人に出会うためにはあらゆる手段を使う。シングルマザーの情報交換の場となっているブログに広告を出すということもしている。
・次に貧困状態への支援には、色々な社会資源とつながることが大事だ。
・CPAOでは、「お寺おやつくらぶ」という仕組みをつくっている。お寺のお供えを「おっそわけ」してもらうということ。お供えを、シングルマザー家庭に送るルートができている。
・さて、「みつける」と「つなげる」の間に、「ほぐす」というアクションが必要だ。
・ほぐすとは、例えば、一緒にお茶をのむこと。
・お茶を飲んで信頼関係ができたら、相手と一緒にどんな「悩み」があるかを二人でブレストし、一覧ができたら、何から着手すべきか優先順位をつける作業をやる。
・年末を一緒に過ごす相手がおらず寂しいという家族を集め、「年越しイベント」をしている。
・今、大阪府内の高槻市、生野区、羽曳野市の3箇所で、モデル事業として「子ども食堂」を運営している。
・親子で一緒に調理して、料理法を覚えてもらうことがミソ。
・こうした「場」は、「実家みたいな場が欲しい」というシングルマザーの「つぶやき」から着想した。
・子ども支援の拠点は、固定費として賃借料が大きいので、これを安くあげるのが重要。
・高槻市は、市補助金で運営。生野区は、大家さんの計らいで家賃がタダ、羽曳野市は、住み開きなのでこれもタダ。
・場所は、レストランを借りるのがよい。
・生野区の子ども食堂は、裏手に畑がある。ビックイシューの労働者と協力して、畑で野菜をつくっている。こういうコラボが大事。
・今後のアイデアとして、お寺の一部を解放してもらうことを考えている。
・もう1つは、「月1お父さん」というアイデア。月に1回だけ、ボランティア希望のお父さんに子どもを預けることができる。
・まとめのことばとして、「ひらく」「枠を超える」ということを言いたい。
●その他
・最近は、保健師の業務が細分化し過ぎており、児童専任、障害者専任、高齢者専任ということで、1つの家庭に3人の保健師が関わり、横の情報共有がないため、以前よりも非効率になっている場合がある。以前は、一人の保健師が、子どもから高齢者まですべてに対応していたので、かえって効率がよかった。
・業務の細分化という方向性がすべて間違っているわけではないが、何のための業務の細分化なのかという精神を忘れないで欲しい。

2015年2月16日 (月)

日本語教室の新しいカタチ~言語習得からエンパワーメントへ~

今月9日、福村さん(早稲田大学日本語教育センター非常勤講師)にお目にかかった。彼女は、2010年に日野市で『にほんご あいあい』という親子日本語教室を立ち上げ、外国人住民への日本語教育を実践してきた人だ。当初、親子で日本語を学ぶことを目的にスタートした『にほんご あいあい』であるが、5年の歳月を経た現在は、参加者が講師となる料理教室など、「表現と対話」が活動の中心になっているそうだ。

こうした活動を通して、うつ症状に悩む参加者が元気を取り戻すなど、他の地域日本語教室とは異なる効用(?)が見られるという。

『にほんご あいあい』の中で何が起きているのだろうか? 福村さんは、参加者の状態が変化するまでのプロセスを、以下のように図式化している。
--------------------------------------------------------
・日本語ができない、日本では何もできない
    ↓
・自己喪失・自己否定
    ↓
・存在意識を取り戻す手段として自分を表す表現活動を行った
    ↓
・自分なりの表現方法が他者に受け入れられ、コミュニケーションができ、人間関係が作られた
    ↓
・エンパワーメント
【表現活動は、表現者にとって、エンパワーメントという意味がある】
--------------------------------------------------------
『にほんご あいあい』という場は、言語習得を「目的」ではなく、交流活動の「結果」として捉えているように見える。以下のサイトには、本人自身のより詳しい実践報告が掲載されている(情報誌『自治体国際化フォーラム』に掲載された原稿のPDF版)
http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/pdf_294/14_culture02.pdf

福村さんとは、日本語教育をめぐる最新トレンドなど、様々な話題について情報交換をした。後半、地域の人々が気軽に立ち寄れる「居場所」の話になった時、彼女から「将来は、八王子で『コミュニティ・バー』を開きたい。そして、バーの場所を利用して、昼間は、日替わりで各国料理が食べられるレストランを開設したい」という話が出てきた。僕と同様、現在の彼女の関心は、日本語教授法よりも、多様な価値観を持った人が出会い、安心して心のキャッチボールのできる「場づくり」にあるようだ。

2013年12月14日 (土)

2008年学習指導要領改定の舞台裏~文藝春秋のルポから~

2013年12月号の文芸春秋の中に、「ドキュメント現代官僚論5~文科省成長戦略を後押しする『教育改革』」と題する興味深いルポが載っている。筆者はノンフィクションライターの藤吉雅春氏。2000年代初頭のPISAショックの後、文科省官僚が、どのような危機意識を持ち、教育改革へと動いていったかを追うルポルタージュだ。

上記文春の記事は、全国学力テスト、大学改革、大阪の教育改革(改悪?)など多岐に及ぶが、今日は、その中から、「言語力育成をめぐる教育改革の流れ」に絞って内容を紹介したい。

【PISAショックから学習指導要領改定まで】
2000年代中盤に文科省初中局教育課程課長だった常盤豊(現・審議官)は、PISAが追求する学力とは、「対象を客観視し、熟考して独自の言葉で批評」する力であり、それを「キー・コンピテンシー」と表現していることを知る。しかし、「キー・コンピテンシー」を育むための具体的な方法を見つけられぬまま、数ヶ月が経過した。

そうした折、常盤豊は、文科省初中局教科調査官の菅正隆(現・大阪樟蔭女子大学教授)の仲介で、当時慶應義塾大学で言語学を教えていた大津由紀雄教授(現・明解大学教授)に会う機会を得る。大津は、小学校英語導入に反対の立場をとる言語学者の一人であるが、常盤は、そうした大津の見解を承知で、会合に臨む。常盤、菅、大津。英語教育に対する見解は三者三様だが、全員に共通した認識は、「言葉の力」の重要性だった。

その後、大津は、2006年に開かれた中教審の外国語専門部会のヒアリングの席で、「言語化」する力が思考力の土台になるという見解を述べる。これがきっかけで、常盤の頭の中に、PISAが定義する「キー・コンピテンシー」を伸ばすには、「言語化する能力」の育成が鍵になる、との発想が芽生え、次第に文科省内部で有力な見方になっていく。

中教審のヒアリングから数ヶ月後、常盤ら文科省の官僚は、「言語力育成協力者会議」を立ち上げた。ここには、大津由紀雄をはじめ、三森ゆりか(つくば言語技術教育研究所所長)など、言語教育の第一人者が複数参画していた。http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/036/meibo/07061429.htm

同会議の報告内容をふまえ、2008年に改定された新・学習指導要領では、「言語力の育成」を重視する姿勢が明確に打ち出されることになった。

【以下はブログ管理者の感想】
上記会議の成果報告については下記ウェブに詳しい。注目すべきは、この会議の最終報告書が、2008年の学習指導要領の改定に大きな影響を及ぼしたことである。http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/036/shiryo/07081717/004.htm

例えば、クリティカル・リーディング(自分なりの判断や根拠に基づいて評価しながら情報を読み取ること)という方法が報告書に載っているが、「クリティカル」という言葉が、文科省が設置した検討会議の報告書に載ることだけでも、画期的なことではないかと思う。

また「指導方法」の中には次のような文章も見られる。
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○論理的思考は、例えば、「事実と意見との区別」や「判断と根拠」、「原因と結果」、「比較・対照」という観点から考えることができるので、こうした観点を基にして、国語と各教科等との分担や連携を図りつつ指導することが望ましい。

○例えば、国語科及び外国語科の読みの指導においては、文章を分析するだけでなく、自らの知識や経験に照らして文章の内容を評価し、自らの考えを表現する、いわば文章と対話するような指導をすることが望ましい。

○例えば、理科の観察の活動において、観察したことを基に説明するときに、「なぜ」という観点を補うよう指導することや、視点を変えて多面的・多角的に物事を見るように指導することが望ましい。
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2008年の学習指導要領の改定後、2009年に実施されたPISAにおいて、日本は読解力をV字回復させ、数学的リテラシーと科学リテラシーともに平均点を上げる結果となった(もっとも、一般に、教育政策変更の成果が現れるには10年はかかると言われており、2008年の学習指導要領改定と2009年のPISAの結果を一直線に結びつけることには、慎重になるべきだ。)

学習指導要領改定の評価については、長い時間軸の中で判断する必要があるが、ここで筆者が特筆したいことは、従来、クリティカル・シンキングの育成に前向きでなかった文科省が、クリティカル・リーディングや多角的な視点から物事を吟味する力の育成について肯定的にとらえるようになった(ように見える)という点だ。このことは、もっと声を大にしてよいと思う。

正直に言うと、2008年の学習指導要領の改定で、(言語力の育成がクローズアップされていることは知っていたが)何故「言語力育成」が急浮上したのかという背景については、無知であった。私の知らない間に、文科省初等中等教育局において、大きな地殻変動が起きていたのだ。

実は、藤吉雅春氏のルポには載っていないが、2008年には、教育課程をめぐるもう一つの大きな変化が起きていた。それは、「教育課程特例校制度」の導入だ。「教育課程特例校制度」とは、文部科学大臣の許可があれば、学習指導要領等の教育課程の基準によらない特別の教育課程の編成・実施が可能となる制度である。http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokureikou/1284960.htm

学習指導要領等の教育課程の基準によらない特別の教育課程の編成・実施は、2008年3月までは構造改革特別区域研究開発学校設置事業として実施され、2008年4月以降は、文科省の認可により、学校独自の教育課程が編成できるようになった。2013年4月1日現在の実施校は、以下のとおり。http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2013/08/15/1284970_2.pdf

この制度を利用して、2010(平成22)年度から3年間、「ことばの時間」を設けた学校がある。それは、埼玉県熊谷市の熊谷南小学校である。毎週、「総合学習」のうち1時間を「ことばの時間」に充てるとともに、国語科と「ことばの時間」を統合再編。さらには、「ことば」力の育成という視点から、すべての教科内容を見直すという、実験的な取組をしていた。

すでに特例校申請期間が終了し、現在は「ことばの時間」は設けられていないが、3年間の実験期間を通じて、全教科において言語力育成を基盤に置く授業が定着したという。
●熊谷市立熊谷南小学校H25学校経営方針
http://www.kumagayaminami-e.ed.jp/hp-minami/yamada/h25torikumi.pdf

理科であれ社会であれ、いずれの教科においても、ことばが学力の基礎をなす。「言語」運用能力の質が、国語科以外の教科の学力にも大きな影響を及ぼすことが定説となっている今、熊谷市立熊谷南小学校の実践は、もっと注目されてよいのではないか。

文科省の合田哲雄(現・学術研究助成課長)は、ことばの運用能力が体育の授業にも変化をもたす実例として、「体育も言語活動です。飛び箱を飛べるようにするにはどうしたらよいか。飛べる子に頭の中でどうやって飛ぶか手順を論理的に考えさせて、それを客観的に言葉を使って人に説明させるのです。すると飛べる子がふえたという事例があります」と述べる。(上述ルポp.248)

「言語化」能力の育成を重視した、2008年の学習指導要領の改定が、10年後にどのような成果を生み出すのか? 今後も、定点観測を続ける必要がある。

2013年9月16日 (月)

多文化ソーシャルワーク実践者講座フォローアップ研修会報告

●日時:2013914日(土)13:30-16:30

●会場:かながわ県民センター11

●主催:神奈川県

●講師:新倉久乃(女性の家サーラー理事)

●演題:「生きる力を取り戻すために~人身売買被害者へのケースワーク実践に学ぶ~

 

★国際課・長谷川主幹挨拶

神奈川県内の外国籍県民は159千人。56人に1人が外国籍住民という計算になる。最近は留学生も増えている。こうした状況をふまえ、今年3月に「かながわ国際施策推進指針」を改定した。また、県の総合計画「かながわグランドデザイン」の中に、課題解決に向けた支援者の養成という項目があり、本研修はその一環として実施している。

県では、外国籍県民相談を実施しているが、年間約1100件の相談を受けている。こうした中、課題解決に向けて、多文化ソーシャルワーカーの役割が益々重要となってきている。これまで5年間で160人超える参加者が多文化ソーシャルワーク実践者講座を受講してきた。本日は、これまでの受講生の方々の知識・技術の向上と関係者間のネットワークづくりを目的に本研修を企画した。

 

★大川さん(司会、横浜市職員)

今日の研修では、ソーシャルワーク実践に必要な技術・理論をとらえかしてみたい。自立支援という考え方は、生活保護分野で主流になっている。日本のみならず世界各国の財政事情が悪化する中で、“自立支援”という考え方が出てきた。そうした背景を考慮すると、自立支援には、公的支援の縮小につながる契機をはらんでいる。新倉さんは以前からの知人であるが、米国での実践については詳細に聞いたことがなかったので、本日米国での取組について詳細にレポートを聞けることを楽しみにしている。

 

★新倉さん(講師)Rimg0519

ThaiCDCで働くために、タイに語学留学し、その後渡米。2006年から2012年まで米国ロスアンジェルスのThaiCDCというNPOに勤務していた。去年から、女性の家サーラーのスタッフに復帰した。団体の詳細については以下のURLを参照のこと。

http://thaicdc.org/

 

ロスアンジェルス市の中にタイタウンがあるが、ThaiCDCはタイタウンの一角にある。近郊には、チャイナタウンやリトル東京等もある。

 

ThaiCDCは、タイ移民が抱える生活問題の解消に向けて次の事業を行っている。

1, 福祉的支援と消費者としての啓蒙

2, スモールビジネスを中心とした講座の開催、ビジネスカウンセリング

3, タイタウンの観光を中心としたまちづくりや低所得者向けの住宅建設、運営のための市との協働事業

 

なお、ThaiCDCにおける新倉さんの主な業務は、人身売買が原因で米国での低賃金労働を余儀なくされている女性への支援。当日は、実際の支援事例について、レジュメをもとに講義をしてくださった。講義の詳細な内容については、下記の配布レジュメを参照のこと。

*当日配布レジュメ

「20130916sw.pdf」をダウンロード




2013年3月17日 (日)

CEMLAセミナーに参加して~教育と福祉の眼差しの違いを超えて~

3月16日、相模女子大学で開催された第6回CEMLA(★)セミナーの分科会Bに参加しました。分科会Bは、外国人児童生徒の課題をめぐって、福祉現場(児童相談所と学校ソーシャルワーク)から二つの報告がありました。

CEMLAとは
Center for Multicultural Learning & Activitiesの頭文字で、「多文化学習活動センター」の意味。相模原青陵高校と大学やNPO等が協働して運営している「多文化共生の学習支援拠点」です。


話題提供者のうち、相模原市児童相談所小林課長さんの次の話が印象的でした。
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・「連携」とか「つながる」とよく言うのですが、実際は、難しいですね。
・学校の先生が持つ文化に「違い」を感じることがある。福祉分野の人は、「わからないから、やる」のに対し、学校の先生は、「わからないから、やらない」という文化。福祉の専門家は、「わからないから、もっと知りたい」と考えるが、「わからないものには、手を出さない」方が、一般的な感覚。
・教育と福祉は、異文化。お互いに、立場が違うことを理解したところで、やりとりすることが大事。

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(左から安永さん、田中さん、高橋さん)
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●ブログ運営者の感想
児童相談所と学校ソーシャルワーカーのお二人の話を伺い、改めて、教育的な眼差し(教師的思考)と福祉的な眼差し(ソーシャルワーカー的思考)の違いと、相互の文化理解の必要性。そして、違いを理解したうえでの連携の重要性を認識しました。実は、この構図は、博学連携(博物館と学校教育の連携)と似ています。博物館と学校教育は、違いがあるからこそ連携する意味があるのですが、博物館固有の学びや価値について、学校の教師が知る機会は限られています。相互の文化を翻訳するコーディネイトが必要なのです。ちょっと脱線してしまいました(^_^;)。

以下は、セミナーの概要、続いて当日の速記録です。
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ME-net(多文化共生教育ネットワークかながわ)と神奈川県立相模原青陵高校が共同運営するCEMLA(多文化学習活動センター)が第6回CEMLAセミナーを共催しました。

●日時 2013年3月16日(土) 10:00~12:30
●場所 相模女子大学マーガレット本館2階(相模大野駅より徒歩10分)
●主催 CEMLA(多文化学習活動センター)
●内容 全体会の後、3つの分科会に分かれて、ゲストスピーカーの報告・質疑
○分科会A
日本語指導を生かした教科指導とは?~JSL生徒カリキュラムの基礎知識~ゲストスピーカー:相模向陽館高校黒田先生、横浜翠嵐高校定時制の先生(予定)高校での教科指導の取り組みの中で、日本語指導を生かした指導について実践報告をしていただきます。
○分科会B
生徒のケースワークの実践とは?~ソーシャルワーカーの実践報告から~ゲストスピーカー:相模原児童相談所小林さん、相模原市スクールソーシャルワーカー安永さん専門機関との連携を視野に、どのような支援が必要なのか、課題はなにかを協議します。

○分科会C
外国につながる生徒の取り巻く状況は?~中学校の国際教室の取り組みから~ゲストスピーカー:海老名市立柏ヶ谷中尾口先生、他1名予定国際教室での取り組みと課題について協議、情報交換します。
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以下は、分科会Bの記録(速記なので、聞き間違い可能性あり)
●高橋清樹(県立相模原青陵高等学校教諭、CEMLA担当)
・今日は、お二人の方から話題提供をしていただくが、参加者からも積極的にご意見をいただきたい。まずは、小林さんから話題提供お願いします。
●小林優志(相模原市児童相談所相談班担当課長)
【はじめに】
・児童相談所として、外国人児童の相談はポツポツという感じ。自身は課長なので、相談員から相談を受けて、一緒に悩むという立場。
・正直に言って、「外国人児童の事例で、うまくいったなーという事例はあんまりない」。
・児童相談所が扱う児童の年齢は、17歳11ヶ月まで。
・市内の各区に「子ども家庭相談課」を設置しており、最初の相談はここが受ける。そこで対応できない事案が、児童相談所に回るという流れ。
【外国籍の子どもへの支援の実際】
・見立てをする際に発達検査をする。発達検査では、言語面・行動面における発達のバラつきを見る。
・その結果、発達障害が発見されると、親御さんに説明する。その際、親御さんの多くはショックを受ける。これは、日本人・外国人を問わない。
・台湾・韓国と、日本では「障害」に対する見方(文化)が違うように感じる。以前、障害があることがわかった時点で、「子どもは、一族で育てるので、外に出さないようにしたい」と話す台湾人の親に会ったことがある。
・日本では、地域社会で子どもを育てていくが、台湾・韓国は、「一族で育てていく文化があるのかなー」と思った。
・フィリピンの子ども(未就学)のケースでは、療育機関につないだ。そこでは、砂遊びや新聞紙をつかった遊びをするが、子どもはこれらの遊びに抵抗を示した。子どもの母親から「フィリピンでは、砂遊びは禁止されているので、そのせいかもしれない」と聴いた。
・児童虐待をめぐる感覚の違いがある。
・児童相談所では、しつけの是非については議論しない。その行為が、子どもへ負の影響を与えるか否かで判断する
・もし、児童虐待の通報があったら、児童相談所は48時間以内に保護しなければならない。
・「お仕置きは当たり前」という中国の親に対して、「たとえしつけであっても、日本では虐待行為は禁止されている」と説明するのは難しい。しかし、日本で生活するのなら、「お仕置きはアウト」だと伝えている。
・次は、南米の子どものケース。その子どもは、特別支援級に通っている。その子が、授業中に寝てしまうことが多く、教員が困っているとのこと。親の生活を調べてみると、親子とも就寝時間が遅いらしい。それが原因で居眠りをすると思われる。また、南米出身の親の中には、学校に通う習慣をもっていない人もいる。
・筋ジストロフィーという病気を持つ子どもがいた。母親に会うと、どうも同じ病気に見える。しかし、母親は病院に通院していない。筋ジストロフィーが、遺伝性の疾患という認識を、親がもっていないのだ。
・教育委員会に通訳をお願いしているが、問題は言葉の壁だけでなく、文化の違いもある。
・言葉の通訳だけではなく、養育観の違いを含めて理解しないと十分な支援はできない。
・相手に日本の社会システムを理解してもらうことも難しいが、私たち職員も、多国籍の人々に接することに慣れていない。

・・・・ここから質疑・・・・・
(三田村)
・児童と接するうちに「虐待」と思われたので、学校の先生に相談してみたが、先生が児童相談所に通報することを躊躇している。教員は、家庭の問題に介入しないという不文律のようなものがあるのか?
(小林)
・相模原市の小学校では、校内に虐待対応の教諭を配置しており、年3回、研修会を開いている。
・研修会の際、「虐待の疑いがある場合でも、通告してください」と伝えている。通告という言葉が強いので、連絡・相談というふうに説明している。
(加藤)
・虐待といっても、色々な程度がある。
(小林)
・どういうメカニズムの中で、虐待行為に及ぶのかを把握するようにしている。
・ネグレクトに対しては、どのような程度なのかを見極め、粘り強い支援が必要である。

●安永千里(相模原市青少年相談センター、スクール・ソーシャルワーカー)
【スクール・ソーシャルワーカーとは】
・相模原市は、スクール・ソーシャルワーカー(以下SSWrと表記)制度を導入して、2年目。市が、単独でSSWrを雇用しているところは少ない。
・現在、スクールカウンセラー(以下SCと表記)は、60名強いる。週1・2回派遣。相模原市では、SCを「青少年教育カウンセラー」と呼んでいる。
・SSWrを導入した背景に、近年、問題が複雑化しており、不登校件数がなかなか減らないという現実がある。そうした中、ソーシャルワーカーのように、「福祉的な見方」が出来る人がいないと問題解決につながらないということで、SSWrが導入された。
・現在、SSWrは3名配置。・文科省のガイドラインでは、SSWr の役割として、(1)問題を抱える児童の環境に働きかけ、(2)関係機関とのネットワーク構築、(3)学校内のチーム体制の構築、(4)教員への支援・研修機会の提供、があげられている。
・相模原市の場合は、上記のうち、問題を学校と一緒に考えることが期待されている。・学校長から相談を受けて、ソーシャルワークがスタートする。
・問題の入口は、不登校という現象。不登校の原因を探ると、色々な問題が見えてくる。・まずは先生に関わってもらうようにしている。
・児童と連絡がとれないというので、先生に聞いてみると、一度電話をかけただけで、家庭には行っていないというケースがあった。
・先生は、児童の家庭のことを分からないので、連絡をとることを恐れる。
・先生が、一人で問題を抱えているケースもある。
・学校がすべき事と、福祉行政が担う部分の役割が整理できないので、役割の整理をSSWrがする。役割の整理ができれば、先生自身が一歩踏み出せるようになる。
・ケースによっては、教員の努力だけでは立ち行かない場合もある。とはいえ、児童相談所にもっていくほどシリアスではないというケースがある。
・問題の蓋を開けてみると、色々な課題が見えてくる。SSWrの役割は、関係機関につなぐこと。つなぎ役、コーディネーターである。

【事例】
●子どもにも父親にも会えない事例
・幼少期に虐待を受けてトラウマあり。子どもの大人不信が見えてきた。・登校させるよりも、信頼できる大人がいることをわかってもらうことを目標にした。
・先生と子どもが共に励まし合いながら高校を受験し、成功した。
・SSWrは、先生たちが「へこたれない」ように支える。・先生自身に、気持の切り替え方を伝え、子どもの言葉の解釈について助言する。
●小学校3年生女子で不登校の事例
・クライエントの生活保護ケースワーカーと関係があったので、そこを突破口にした。
・家庭に入るまでに1年かかった。
・リサーチの結果、近所から嫌がらせを受けていたことがわかった。
・親も含め、その子の気持をはじめて聴くことができた。
・少しずつ学校に通えるようになってきた。しかし、完全解決には至っていない。
●外国人児童生徒の事例
・学校で落ち着きがない子どもへのアプローチについて、相談を受けたことがある。
・問題の原因が、知的障害なのか、発達障害なのか、言語なのか、文化習慣の違いなのか。どこから手をつけたらよいかわからないという内容だった。
・働きかけの「入口」がわからない、ということのようだ。
・母親と子ども双方が苦しんでいるが、共通言語がないために、問題解決が前に進まないという事例。これは現在進行形で、まだ答えが出ていない。親も子も圧倒的な孤独感をもっていると想像する。

・・・・ここから質疑・・・・・
(高橋清樹)
・今日は、スクール・ソーシャルワーカーの話を聞いて、改めてその重要性がわかった。
・●●さん、どうですか?
(県立横浜翠嵐高等学校定時制教諭)
・定時制高校だと、親子で会話ができないという話は聞かない。
・学校で落ち着きがない子は、高校にもいる。小学校・中学校で勉強についていけない疎外感をもったことはいるだろう。
・今年度1年生に入学した生徒の話。その子は、中学校時代、特別支援級に入っていた。子どもが強く普通級を希望したため、中学3年生になって、籍は特別支援級に置いたまま、普通級で授業を受けていたという。
・学習言語としての日本語も十分身につかないし、母語でも教科学習の知識が身につかない。こういう子が、発達障害をもっていると見做されてしまうこともありうる。
・高校入学後は、普通の生徒としてやっている。学力は低めだが、普通の子どもである。これから社会に出る時には、またひとつ壁があるように感じている。
(相模原市日本語巡回指導員)
・フィリピンの小学校2年生の子どものケース
・この子は、ひらがなが読めるが、口頭で説明しないと、行動が起こせない状況にある。
・なんとか支援したいが、どこに働きかけたらいいかわからず、困っている。というのは、日本語の巡回指導員には、問題を解決する権限がない。
・保護者と連絡ができないまま、すでに半年経っている。
・母親はほとんど日本語ができない。問題は解決されていない。
(安永)
・学校が困らないと、SSWrに連絡がこないので、こういうケースは難しい。
・自分は、こういう場合、SCと連携して、一歩踏み込むようにしている。
・正式には学校長からのルートしかないので、あとは草の根的にやっている。
・自分は、SCとよく話をしていて、学校の様子を聞くことがある。SCとのやりとりの中から課題を拾える可能性がある。
・学校SCとの接点はないのか。学校訪問の曜日が違うのですか?
(相模原市日本語巡回指導員)
・はい、SCとは全く接点がない。訪問の曜日が違うので、すれ違い。
(高橋清樹)
・全国でプレスクールの取組があるが、山野上さんどうか。
(山野上)
・山野上です。今は文科省の事業やっている。学校に通っていない子どものための教室へ委託料を出す仕事をしている。神奈川では、川崎、横浜、大和で実施。以前、神奈川県内で2年仕事をしたことがある。
・愛知のプレスクールに通う子どもは主にブラジル人。近年フィリピン人が急増している。
・プレスクールで大事にしていることは、母語と日本語の能力の見立てを重視。
・母親は(日本語ができないので)、子どもは日本語がきると思っている。一方、保育士は(ポルトガル語がわからないので)、その子はポルトガル語ができると思っている。しかし、検査してみると、両方ともあまりできない場合がある。両方の能力を見ないと、子どもの言語能力の全体像が見えない。例えば、筆箱という言葉。学校で使う基礎単語を両言語で使えるようにすること。などに取り組む。
・言語の問題もあるが、養育環境の問題もある。通常の日本の家庭では想像がつかないような養育環境にある子どもがいる。
・本当は環境因なんですが、外に見える現象としては、(発達)障害に見える場合がある。鉛筆が持てない。階段を登れないなど。ずっと家にこもっていた場合など。
・愛知では、ブラジル人の子ども対象の特殊な託児所がある。子どもの面倒を長時間みてくれる。保護者が育児放棄をしているわけではなく、家庭の経済環境が厳しいところから、結果として長時間託児を余儀なくされているということがある。
・そういう子どもが日本の小学校に入学すると、本当に大変。集団生活に慣れていないこともあるが、ポルトガル語も身についていないので、文字の入りも極端に遅い。
・現象だけ見ると発達障害に見えるが、障害ではない。それまで文字に全く触れていないので、文字に慣れるのに時間がかかる。世の中に文字があるというところから入る。
・ポルトガル語ができる子どもは、日本語の読み書きに慣れるのも早い。
・環境因でのつまずきを少しでもなくそうということから、小学校入学前から準備教育としてプレスクールを実施している。集団生活を経験し、少なくとも「トイレ」といえるようになる、など指導している。
・神奈川だと、同国人同士でやっている託児所は少ないと思う。
・愛知県では、保育士に、複数言語で育つ子どもの問題を知ってもらうための場をつくっている。・日本語のできないブラジル人の母親に、日本語で子どもに語りかけてくださいという指導を保育士がやるとよくない。母親の得意な言語で語りかけてください。ということが大切なことを保育士に伝えている。
・ただ、難しいのは、家ではタガログ語を聞きたくないという旦那さんがいたりするので、自分の得意言語を使いましょうという、単純な原則論だけではうまくいない。
・おかあさんが日本語が得意な場合は、日本語で語りかけることは悪くない。
・本当はポルトガル語で育てたかったが、周囲が日本語を使えというので、慣れない日本語で育児をした、と心情を吐露するブラジル人の母親もいる。
・特別支援学級に行けと言われて、学校をやめたという親もいる。
・学校と「かけはし教室」の間に立って調整することがある。学校としても迷っているケースもある。
(井草)
・多文化フリースクールに通う子どもは、30人。中国は7・8割。
・中国は二極化している。多文化スクールに来る子は、教育的に捨てられた子どもである。
・座っていられない子どもがいる。これは多動児ではなく、これまで学習の習慣がないというケース。
・学校の担任が、一人で問題を抱えてしまうことがある。それは、他の教員も忙しいもで、相談しにくい雰囲気がある。
・フリースクールは、とにかく相手の言いたいことを聞くというスタンス。日本語教育の専門家と中国語のできる人がいる。
・目の前に現れている現象をわかってあげることが大切。そうすると子どもが落ち着く。
・親御さんが来た時は、その気持を受けとめる。親御さんがイライラすると、子どももイライラするので。
(三田村)・SSWrが中教育事務所に1名配置されている。そこで、現場の先生に、SSWrの役割を尋ねてみた。すると、「SSWrは、教員の研修を担当し、指導する」という答えが返ってきた。
・相模原市と中教育事務所のSSWrでは、役割が違うのではないかと思うが、どうなのか?(安永)
・相模原市と県では、SSWrの役割が少し異なる可能性がある。県の SSWrの役割は、教員へのコンサルテーションが主な業務と聞いている。最近、県では、SSWrとは別に、スクール・ソーシャルワークサポーターという制度をつくった。もしかしたら、サポーターが相模原市のSSWrに近い役割かもしれない。断言はできないが…。
・先生が、自分の守備範囲がわからず、家庭の問題を全部抱え込んでしまうことを恐れている場合がある。学校教育ができることと、福祉や他の領域がすべきことの区分けができていないということ。それが整理できるとよい。
(小林)
・「連携」とか「つながる」とよく言うのですが、実際は、難しいですね。
・学校の先生が持つ文化に「違い」を感じることがある。福祉分野の人は、「わからないから、やる」のに対し、学校の先生は、「わからないから、やらない」という文化。福祉の専門家は、「わからないから、もっと知りたい」と考えるが、「わからないものには、手を出さない」方が、一般的な感覚。
・教育と福祉は、文化が違う。お互いに、立場が違うことを理解したところで、やりとりすることが大事。

2013年2月25日 (月)

『カリコリせんとや生まれけむ』会田誠・幻冬舎文庫を読む(メモ)

電車の中で会田誠の『カリコリせんとや生まれけむ』を読む。興味深い。発達障害の子どもの問題について、彼の妻、岡田裕子が書いている。小学校に入った、会田誠と岡田裕子の長男が、学校から“問題児”と見なされ、注意を受けたことがきっかけとなり、岡田裕子が発達障害の問題、そして子どもへの「まなざし」の向け方について、自問自答する様子が描かれている。(学校から、この子が発達障害の疑いがあるため病院に行った方がよいと勧められ、岡田の苦悶が始まる。)

医療機関が子どもに対して特定の障害名をつけることで、必要な支援が可視化されるという効用がある反面、“障害児”とカテゴライズすることで、その子の個性や長所を摘み取ってしまう危険性もある。教師的な眼差し(“正しさ”に向けて子どもを矯正していくベクトル)と、その子らしさを最大限尊重しようとする眼差し(福祉的な視点)のバランスをとることはそう簡単ではない。しかし、困難な試みではあるが、この背理の中で、親も教師も、迷いながら子どもと“格闘”していくしかないのだ。

それにしても、岡田裕子の文章は含蓄がある。以下少し長くなるが引用してみたい。

性格面で特徴が強かったり、集団行動が苦手だったりする児童は、他人に迷惑をかけることもしばしばで、時に教師や両親などに過剰に叱責されたり、体罰を受けたり、足並み揃えることを強要されることにより、『自分はダメな人間だ』的思考に陥り数々の悪循環を引き起こす場合が多々あるといわれている。LDとされる児童は指導が合わないことでどんどん勉強についていけず“落ちこぼれ”という評価を下され、ますますやる気を失い勉強がわからなくなってゆく。それについては、わたしたち大人が教育について充分に見つめなおし、柔軟な方法を考えてゆかなければならないだろう。ただ、そういった特性を持った子供たちを“早期療育”といった名の下に“障害”と診断を下し、普通学級から取り除いて籍を移し、集団から遠ざけてゆく新体制が、長い目で見て本当にその児童たちにとってプラスになると言い切れるのだろうか。確かに近視眼的に考えれば、その時期は揉め事も少なく、適切な指導も受けやすく健やかに成長するに適した環境かもしれない。でも、学校を卒業したら、みな等しく世知辛い社会に放り出される。真の社会性というものは、級友や先生とのかかわり合いの中で(時に理不尽を感じたり不快があったとしても)揉まれながら、模索しながら自己認識を構築してゆくものであるともいえるのではないだろうか。p.117-118

この文章の後、岡田は、夫の会田誠や、知り合いのアーティスト仲間の生育歴を披露しながら、彼らの幼少時は発達障害児のような行動をしていたものの、大人になった現在、それなりに社会を生きているという事実(fact)を述べる。さらにアーティストは、一般に、自由奔放で非常識と思われがちだが、実際には、多業種の人との打合せをこなし、展覧会の会場に合わせて作品の内容をコントロールするなど、結構高度な社会性を持ちあわせているのだと主張する。

最後に、ご子息の寅次郎君の希望で、普通級に通わせる決断をしたという顛末が綴られている。「あれかこれか」という結論を性急に出さず、迷い続ける母親の姿勢に、「あっぱれ」と言いたい。

上記以外にも、面白いエピソードが満載。オススメの一冊。

2013年2月24日 (日)

フォーラム「学校におけるソーシャルワークを考える」に参加して

ESDフォーラムII:地域と教育「学校におけるソーシャルワークを考える」に参加してきた。

●日時:2013年2月24日(日)13時30分より
●会場:品川区環境情報活動センター
●内容:渡辺岳(神奈川県立高校教諭・社会福祉士)ほかによる提案、ワークショップ
●主催:関係性の教育学会、ESD学校教育研究会


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(渡辺岳氏)

●プログラムの内容
【ESDとは(長岡素彦氏)】
フォーラムに遅刻したので、長岡さんの講義は聞けませんでした。

【渡辺さん講演要旨】

●福祉の仕組みと学校での福祉教育実践
・福祉の仕組みは、フォーマル・システム、インフォーマル・サポート、民間事業の3つに区分できる。
・私(渡辺さん)は、学校における生徒への「福祉体験学習」の部分を実践してきた(上記の区分でインフォーマル・サポートにあたる部分)。
・特に、最後の1年は、東北被災地(大槌町)での生徒のボランティア体験をコーディネイトした。学校のクラスで学ぶ以上に生徒には学びがあったと思う。
・ところで、統計数字のように(PPTスライドを見せながら)、過去20年間で児童虐待の件数が指数関数的に増加している。

●児相の問題点1
・二つのケース(高校生)に遭遇したが、その経験の中から、児童相談所(以下「児相」と表記)という制度の限界が見えた。それは、児相の一時保護所は、学校に通いながらは利用できないということ。外出禁止・面会禁止なので、利用しづらい。
・二つのケースとも、児相に相談したものの、結局児相の制度は利用しなかった。学校の格技場に寝泊まりしていた男子のケースは、児相に預けず、結局、ホームレス支援の団体が運営する施設に入居し、最終的には美容学校に通学することになったので、その学校の寮に入居することになった。女子のケースは、母親との関係が悪く、家出していた。一時的に、母子支援施設に入居した後、最後は、父親の両親に引きとってもらうことになった。

●児相の問題点2
・要対協(要保護児童対策地域協議会)が各地域に設置されることになっているが、あまり機能していない。中学の先生に、要対協の存在を聞いても知らない人が多い。

【注記】平成16年の児童福祉法の改正により、虐待を受けた児童などに対する市町村の体制強化を固めるため、関係機関が連携を図り児童虐待等への対応を行う「要保護児童対策地域協議会(子どもを守る地域ネットワーク)」を設置するとの方針を厚労省が策定。平成18年4月1日現在、神奈川県内の設置率は100%。

●改善提案
一時保護所の運営を児相が独占するのではなく、NPOに運営費を払って委託するという発想が必要ではないか。例えば、東北の大槌臨学舎(コラボ・スクール)の事例は、参考になる。
http://www.collabo-school.net/?page_id=1202

●不登校の要因1
・不登校が増加している。ここ3・4年で色々な生徒に会った。
・原因の一つは、適応障害、起立性障害、エリトマトーデスなどの精神疾患。こういう子どもが医者にかかるのはよいが、医者は、「学校いかなくていいよ」とアドバイスする。しかし、子どもの将来を考えた場合、やはり、学校に通って卒業した方がよいと思う。医療的な観点も理解できるが、福祉的な視点も必要。
・発達障害やコミュニケーション障害が原因で友人関係のトラブルに至り、不登校になる場合もある。

●不登校の要因2
・人間関係が原因となることもある。生徒対生徒の場合と、生徒対教師の場合がある。学校の先生とうまくいかず、うらみをもっと学校をやめていく生徒がいる。
・もうひとつは、学校のルール、家庭、地域などの環境要因である。例えば、貧困家庭では、修学旅行の費用が払えず、そこがつまずきになって不登校になるケースがある。

●不登校の要因3
・非行の問題がある。好ましくないアルバイトが原因で、非行や犯罪にいたるケースもある。

●校内暴力の問題
・校内暴力も多い。児童虐待、不登校、校内暴力は正の相関関係がある。児童虐待の多い地域は、不登校や校内暴力も多い。
・逆に、そういう地域は自殺者が少ないという統計もある。

上記のような子どもを支援する機関がない。児相にはできない。要対協もあまり機能していないようだ。

●困った時の相談先
・問題が生じた時に子どもたちがどこに相談するのかというと、先生に相談にくるのは非常に少ない。生徒はまず友達に相談する。保護者にも相談しない。生徒たちの関係性が大切。
・退学していった生徒をみると、友達がいない子が多い。友達がいる生徒は、学校をやめない。
・友達同士のサポートが重要で、ノーマライゼーションやコミュニケーション教育をすることが大事。そこで、生徒への福祉教育が必要となってくる。

●どのような福祉教育をするか
・ここでの福祉教育は、社会的弱者保護ということだけでなく、自分ひとり一人が福祉の対象となるという意味で、ユニバーサルな福祉教育が重要となる。日本では、これが決定的に欠けている。
・ICFの自己評価。自己を知り、他者を知ることが重要。ICFの自己評価シートを使って、自己評価と他者理解をすることが効果的である。
★ICFについての詳細は以下のURLで
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/08/h0805-1.html

・福祉教育を充実させれば、最終的には、生徒自身がソーシャルワークできるようになる。インテイクの部分は生徒自身がして、教員は生徒から困難を抱えた生徒の状況を聞くことができるようになる。
・生徒同士で問題解決をしていく可能性もある。

●学校教員とスクールカウンセラー・スクールソーシャルワーカーの関係
学校教員が、生徒の問題を専門職(スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー)に丸投げしてしまう傾向が出てきていることが課題である。

●まとめ
健全な学校をつくるためには、ソーシャルワークを学校の導入することが必要だが、それだけではダメで、福祉教育とセットにすることが必要。この両者がうまく機能することで、学校はエンパワーメントされる。


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(ファシリテーション・グラフィックをする長岡氏)

【参加者との情報交換(主な話題)】
・ESDと福祉教育の最終目的は?
・エンカウンターグループやピアサポート等の手法は、高校の福祉教育の中に普及していたのか?
・キャリア教育と職業教育の違い
・高校へのスクールソーシャルワーカーの配置の状況は?
・高校で実践されているシティズンシップ教育はどのような内容か(選挙制度を教える??)
・学校は、理性(価値観)を教えるべきかいなか?
・自殺をしたいという生徒に対し、自己決定原則だけでいいのか?こうい場合、パターナリズムも必要ではないか?
・今大学生。日本BBS連盟の地方組織(平塚市)に所属し、要保護観察の生徒のお兄さん役をしている。「日本BBS連携」については以下のURLを参照。
http://www2.ocn.ne.jp/~bbsjapan/

■ブログ運営者の感想
・渡辺先生のように、高校生世代の子どもの問題に真剣に向き合ってきた教師からみると、児童相談所のメニューは使い勝手の悪い点があるのだろう。しかし、一方で、児童相談所の職員は、一人で100ケース近くを抱え、手が回らないという実態もある。支援メニューを柔軟にすることは勿論だが、児相職員が置かれた環境の改善も同時に図る必要がある。それとともに、児相以外のNPO的な取組への支援の仕組みを充実させることも忘れてはならない。とにかく、12歳から22歳くらいまでの青少年に対する支援施策(学校の内外ともに)が不十分なのだ。誰かを非難することよりも、ささやかでも、自分のできるところから始めてみたい。

★★渡辺岳さんからの修正コメントが来ましたので、以下に掲載します。お詫びして、訂正します。

① エリテマトーデスや起立性障害、適応障害は精神疾患ではないのです。
このような症状はなかなか治癒しにくい疾患で、長い闘いになります。その間に心を病んでしまうケースがある(多い)と云うことです。

様々な不登校の要因が考えられますが、医療で治癒させるという考え方だけでなく、福祉的対応があってよいと云うのが私の考えです。

不登校の状態から退学を決心するというのは、長い目で見れば自分自身でスティグマを背負い込んでしまうという事でもある訳です。

② 制度的福祉(Formal-system)、制度によらない支援や見守り(Informal-Support)、民間事業、これらの相互作用で効果的に福祉サービスが実行されるべきだと云うのが福祉ミックスの考え方です。

「モバイルミュージアム行動する博物館」西野嘉章著・平凡社を読んで(メモ)

僕がはじめて読んだ西野嘉章先生の本は、『博物館学~フランスの文化と戦略』東京大学出版会だった。その時は、それほど大きな刺激を受けなかった。しかし、昨年出版された『モバイルミュージアム 行動する博物館~21世紀の文化経済論』を読み、西野先生が日本のミュージアム事情と文化政策に詳しいことに驚いた。

西野先生と言えば、『西洋美術書誌考』に象徴されるように、美術史に関する膨大な知識を持つ博覧強記な人物という印象が強い。こんなに実践的な博物館政策に関する知識(だけでなく熱いハートも)をもっていたのかぁー、というのが正直な感想だ。しかし、よくよく西野先生の専門を調べてみると、博物館学という分野がちゃんと入っている。「西野嘉章=美術史研究」という僕の認識が偏っていたのだ。

以下、本の中から気になったところを引用しながら、短く印象を述べたい。

特に一番最初のパラグラフで西野さんが主張することは、英国シティ大学客員教授のジョン・ホールデン<DEMOS(英国の文化政策シンクタンク)元・文化政策部長>の提言と重なるところが大きいように思う。ジョン・ホールデンの「文化の価値をめぐるダイアグラム」理論については、2013年3月初旬に出版予定の『地域に生きるミュージアム』福原義春編・現代企画室(企画:かながわ国際交流財団)で紹介しているので、興味のある方はぜひ購入を検討してみてください(^^)。

●以下本からの抜粋とブログ運営者による短いコメント

【ミュージアム事業の評価手法】

ミュージアムが社会のなかにあってその本来的な使命を安定的に果たしてゆくにはどうしたらよいか。この問いに答える前に、学芸活動の「総事業価値」について考えて欲しい。「総事業価値」とは、ひとことで言うなら、ミュージアムが事業を通じて生み出す、社会教育上の価値の総量のことを指す。学芸活動の生産する価値は、学術的な価値から、教育的、経済的、社会的なそれまで多岐にわたるが、これらすべて包摂し、あるイベントが社会に対して与えた「インパクト」の大きさを、それの継続時間で積分した値が指標となる。ただし、ここに言う「インパクト」には、ミュージアムの企画展に足を運んだり、ミュージアムで実施する各種イベントや、ワークショップ、ボランティア、学術研究といった諸活動に参加したりする直接受容者に対するものと、各種メディアの提供する情報や印刷物を介して間接的にしか上記の活動に触れる機会のなかった間接受容者に対するものの、ふた通りを想定しなくてはならない。P.56-57

ミュージアムの学芸活動は、しかし、打ち上げ花火に近い特別展、閑古鳥の鳴く常設展だけに限らない。たとえば、モバイル展示のようなものはどうか。低予算で、小規模の事業。もとより社会的な「インパクト」は大きくはないが、中長期のスパンで継続できる。それを国内外各地で並行的に維持できたら、上に記した指標概念からすると、大規模企画展に負けぬ「総事業価値」をはじき出すことができる。そのことを実証してみせたのが、異業種ながらアマゾンのネット通販モデルであった。ミュージアムは、これまで、「テール」を見ずに「ヘッド」ばかりを狙ったきた。これからのミュージアムは、同時並行的に複数の「モバイルミュージアム」を循環させる、ネットワーク型で効率がよく、しかも資源消費の少ない小規模事業を、中期から長期にわたって維持継続させる「テール」型事業モデルにシフトし、「総事業価値」の拡大を図るべきなのではないだろうか。P.60-61

「ねぶた」は市内を引き回される台車の呼び名である。しかし、「ねぶた祭」は台車を制作し、それを活用する祭礼システムそのものである。理由はこうである。すなわち、青森市の「ねぶた」台車は市内を引き回されたのち、近隣の町に引き渡され、そこで規模を縮小した「町ねぶた」が実演される。そこが終わると、同様のプロセスを経て、さらに小さな村へ運ばれる。「村ねぶた」台車は、さらに在に運ばれ、最終的に祭礼用具としての使用価値を消費しきったのち、存在を消滅させる。ただし、毎年幾台も制作される「ねぶた」台車のなかで、有名な絵師になるもの、できのよいものは、「ねぶたの里」と呼ばれる保管施設で保存されることになる。要するに、市、町、村、在という共同体ネットワークのなかで、地域住民が制作を担い、役務を賄った造作物が、一方で用具としての使用価値がゼロになるまで活用され、他方でその地域の「文化資本」の年ごとの増加に寄与する、という仕掛けが成立しているのである。P.62-63

伝統的な祭りとして実施される文化イベントの経営論的バランスシートは、観光事業、伝統文化、技術継承、地域的アイデンティティなど、その行事全体の経済学として検証されなくてはならない。そのプロセス全体を見渡した上で、費用対効果が計られなければならない、そのことをこの事例は物語っている。P.64

ところで、ミュージアムにおける学芸事業のあり方はどうか。伝統的祭礼行事のような全体型システムが成立していると言えるであろうか。観光客を来館者に置き換えると、祭事も特別展も一過的な集客イベントであり、外形的にはよく似ている。しかし、ミュージアムの特別展には、上に紹介した祭礼行事が文化的価値交換システムとして有する、合理性はもとより、経済的な説得性がどこからも見えてこない。ミュージアムの関係者は、しばしば予算のことを口にするが、日々の活動における予算執行がはたして妥当性をもつものなか、そのことを真剣に検討しているのか、あらめて問うてみたい。ここに言う「妥当性」とは、会計法的ない意味での適法性という意味ではない。そうではなくて、限られた予算のなかで、公益性が、費用対効果という面から見て、最大限に追求されているか、コレクションの増大が見込まれているか、そうしたことが問われなければならないのである。p.64-65


■この指摘は少々耳が痛い。かつて、某学習・文化施設で、市民活動資料のデジタル・アーカイブ事業を立ちあげるべく、システムづくりをした経験があるが、この事業が、その地域の公益性にどのように貢献するのかについて、十分な説明をしてきたかと言えば、あまり自信がない。社会教育や文化政策に関心のある人には、この事業の意義についてプレゼンする機会を何度か持ったものの、アーカイブズ的なものに関心のない人々に対して、十分な説明をしてきたかと言えば、「はい」とは言いきれない。反省(^^ゞ。

現在の企画展のあり方に費用対効果の面があると断じたのは、「イベントの経済学」に縛られ過ぎており、「総事業価値の経済学」という視点が欠けているからである。前者は、企画展の実施を、閉じられた一個の予算枠内で考える視点。すなわち、企画展事業について、いくらの予算を投入し、来館者数がどれほどで、入場料とグッズ販売でどれほどの収入があったのか、という短観的な視点でバランスシートを閉じようとする。ここには、消費型事業に関する帳尻合わせがあっても、伝統文化の継承、技術力の維持、公益性への寄与といった視点が欠落している。それに対して後者は。企画展の実施を、より大きな時系列的システム全体のなかのひとつとしてのイベントとして捉え、中長期スパンにわたる、時間枠的にも活動域的にも、より拡張されたバランスシートの上で吟味しようとする。企画展を、それ以外のミュージアムの様々な活動と結節させ、そのシステム全体の経済学という観点から顧みる視点。そうしたシステム経済学的な視点を導入すると、展覧会の実施コストという概念のなかから、また別の側面が見えてくる。P.65

■行政コスト計算やCS調査など、2000年代中盤くらいに流行した行政経営評価の手法だけでは、ミュージアムの価値は測れないということである。企画展毎の入場者数や単年度の収入・支出という金額だけに着目するのではなく、長期的なスパンの中で、ミュージアムが社会に与えたインパクトの総量をもって事業価値を評価すべし、ということだと思う。ただ、従来のように「文化には金がかかる」「ミュージアムの価値は目に見えない」という抽象論ではなく、「総事業価値」というアイデアのもと、公益への貢献を何らかの形で可視化しようというところが、西野さんの新しい主張だ。

【ミドルヤードというアイデア】

最後が「ミドルヤード」である。これまでのミュージアム施設は、その公開性の程度に応じて、フロンドヤードとバックヤードに大別されてきた。ならば、その中間域に「ミドルヤード」を加えてみたらどうか。バックヤードに位置づけられてきた研究機能とフロンドヤードに位置づけられてきたワークショップ機能が、相互浸透する併用スペース。その曖昧な「間」をどう生かせるかという試みである。先述の「マクロ先端研究発信オープンラボ」構想が、まさにこの具体例となる。大学で推進されている高度な研究の現場と、それを基盤として支える学術標本の収蔵スペースに、専門研究者や大学・院生だけでなく、初等中等高等学校の生徒を誘い、「複合教育プログラム」を実施しようとする企画である。

ニ○○八年七月に開催された企画展示「UMUTオープンラボ――建築模型の博物都市」は、「ミドルヤード」の機能を具体的に例証してみせる場となった。展示予算なしという最悪の条件が課せられたため、学生の力を活用することになった。建築を専攻する学内外の学生や院生に、世界の有名建築の縮体模型を作らせ、それらを並べて見せるというのが、展示の趣旨である。準備に半年近くを費やしたが、当初用意できた模型は、百台にも満たなかった。しかし、展示が始まってからも、会場の一角に「オープンラボ」が設えられ、そこに用意された作業台で、制作作業が続けられた。会期終了時には百五十台ほどの模型に仕上がり、それらで会場を埋め尽くした。この展覧会は、結果的に、展示をおこないつつ、コレクションの充実を測る、一石二鳥の試みとなった。そればかりか、そこで制作された建築模型は、その後、「モバイルミュージアム」のコンテンツとしても活用されている。要するに、一石三鳥になった、というわけである。P.148-149

大学生と子供が、展示会場に設えられた「オープンラボ」で一緒に作業する。こうした形式のワークショップでは、教える側と教わる側が、役割の入れ替えゲームを演じることになる。(中略)この入れ替えゲームの参加者は、学童から小学校教員、大学生・院生、研究者、大学教員、ボランティア、一般社会人まで幅広い。「オープンラボ」は、年齢、履歴、スキル、専門の隔てを超えて、知識や技術がやり取りされる場である。それこそ、われわれが「複合教育プログラム」という言葉を使う所以である。ミュージアムは、そうした場を用意できる。逆に言うと、そうした場を用意できるのは、ミュージアムしかないということである。p.150

【分野横断型のミュージアムのあり方】

これまで、博物館、美術館、文書館、資料館など、広義の意味でミュージアムとみなされる公共文化施設は、歴史や自然、芸術、科学、技術など、専門分野や個別領域で縦割りに系列されてきた。それら専門個別に特化された存在様態は、学術研究や展示活動など、施設の管理運営や人員の組織整備の面で、なるほど効率的であった。しかし、企画の構想や展示の手法が個々の領域内に自閉する方向に傾きがちで、ミュージアム概念それ自体を陳腐化させる要因でもあった。「インターメディアテク」が従来のミュージアムと一線を画する所以は、常設展や企画展の実現、コレクションの収集や研究、鑑賞機会の提供を、学芸事業の究極的な到達目標とするのではなく、常設展や企画展の会場、あるいはコレクションの収蔵展示の空間を、多様な表現メディアが出合いを演じる「舞台」なして「背景」と位置づけようとしているからである。p.175

■なかなか面白い発想だ。しかし、実現するのは容易ではない。複数のミュージアムを物理的に1館に集約・統合するという発想ではなく、まずは、MLA(博物館、図書館、文書館)が連携し、デジタル・アーカイブズの仕組みをつくるというプロジェクトに着手し、徐々に施設間の共有部分を広げていったらどうか。コスト削減のために社会教育施設を統廃合するのではなく、施設の事業効果を最大化するために施設間の壁を融解し、新しい価値をつくりだす作戦を、外部の団体を含めてみんなで考えていくのは、楽しい企てとなるのではないか!

2012年12月 3日 (月)

フォーラム「外国につながる子どもの就学前支援を考える」報告メモ

○日 時:2012122日(日)14:0016:30
 

会場:神奈川韓国会館6階ホール
 

プログラム:
 

(1)「外国につながる子どもの発達と学校生活への適応サポート」 

    小島祥美さん(愛知淑徳大学准教授)
 

(2)「神奈川県内の外国につながる子どもの就学に係わる現状と課題」 

    吉田美穂さん(NPO法人多文化共生教育ネットワークかながわ、中央大学非常勤講師)

(3)「行政とNPOの連携による就学前支援の取り組み」

 渡辺卓さん(大和市教育委員会)

 矢沢悦子さん(NPO法人日本ペルー共生協会(AJAPE)) 

(4)パネルディスカッション「子どもたちがスムーズに学校生活を始めるために」 

小島祥美さん、吉田美穂さん、渡辺卓さん、矢沢悦子さん

【解説】:外国人児童ではなく、「外国につながる」子どもという表現を使う理由は、国際結婚から生まれる子どもの国籍は日本籍となり、統計上は、日本人児童とみなされるため。外国籍児童ではないが、言語や文化など、他の日本人児童に比べて、特別な支援が必要となることが多い。本フォーラムでは、こうした子どもたちを含めた支援体制のあり方について考えていくという趣旨。

小島さん報告骨子

1990年代後半、外国人児童生徒の不就学問題に関心を持った小島さんは、子どもたちの実態把握が急務と考え、関西圏の自治体に調査依頼をするが、ことごとく断られ、最後にたどりついたのが岐阜県可児市だった。可児市は、不就学の実態調査に理解を示し、彼女に2003年から外国人住民への悉皆調査を依頼(2年間にわたる調査の結果報告が、彼女の博士論文の骨格をなしている)。
 

上記調査から、外国につながる子どもの世話をする施設がないため、ほとんどの保護者が無認可保育園に子どもを預けていること。また、無認可保育園で過ごす子どもたちが、結果として不就学児童となる流れが見えてきた。
 

その後、彼女は、2005年から市教育委員会が委嘱する「外国人児童生徒コーディネーター」として外国人児童の不就学問題に取り組むことになる。コーディネーターをしながら、プレスクール(就学前教育の場)の必要性に気づいていった。
 

2006年度から2008年度にかけて、愛知県が、4市でプレスクールのモデル事業を実施。そして、2009年からプレスクール運営マニュアルづくりを始める。小島さんは、可児市の実績をかわれ、マニュアルの作成委員となる。
 

201111月現在、中部地域・関西圏でのプレスクールは、7箇所。行政(教育委員会以外)、教育委員会、NPO委託の3つの類型がある。実施場所は、託児所、保育園、NPO内など。
 

プレスクールの効果としては、3つある。 

・入学後の学級編成や指導計画を立てるのに役立つ 

・外国人児童が入学前に日本の学校文化を疑似体験できる 

・外国人児童の保護者が子どもの状況や学校の様子を理解しやすくなる

3

 
吉田さん報告骨子

 

外国人児童生徒の問題に関わる中で、次第に、子どもの背後にいる保護者のことをきちんと見ていかねばならないと感じるようになった。県の福祉部局が募集していた「かながわ子ども・子育て支援推進調査研究事業」の助成を受け、外国につながる子ども支援をテーマに、子育ての状況、子育て支援に関する意見、保護者の日本語力と日本語学習、保護者の仕事・生活等等の項目について調査した。
 

調査は、三段階で設計した。 

まず、県内の学習支援教室(★)に、保護者支援に取り組んでいるか否かをアンケート調査した。その中から、保護者支援に取り組む団体を9団体選出し、ヒアリング調査を実施した。さらに、9団体に調査に協力してくれる保護者を紹介してもらい、ヒアリングをした。

★学習支援教室とは、外国につながる子どもを対象に、日本語教育と教科補習をする場所。公民館、青少年会館、福祉会館等を会場にボランティア団体が運営をしている。神奈川県内に57団体ある。アンケートの回収率は約65%。

その結果、保護者自身の問題についての相談が多いことがわかった(例えば、会社の書類・給与明細が読めない、夫婦関係の悩み、将来への不安など)。こうした相談を受けた時、学習支援教室の目的を超えて、どこまで関わっていいのか迷うという回答があった。
 

それ以外には、支援教室と学校との連携が難しい。保護者が忙しくて、子どもに注意が向いていない、など。

こうした課題に対する対応策としては、保護者に学習支援教室の写真を見せるなど、工夫をしている教室があった。また、保護者と積極的に関わっていきたいという教室が多い。
 

○調査を通じて見えてきたこと
 

・日本の小学校は、保護者による家庭での学習支援を期待 

・3団体がプレスクールを開始 

 →生活習慣づくり、学力保障、保護者へのエンパワーメント 

・思春期を中心とする親子の葛藤 

 →言語コミュニケーション、呼び寄せ家族が抱える課題、在留資格 

・母国の教育文化を意識した保護者への情報提供 

 →子どもの「口ごたえ」に驚くフィリピンの母親 

・保護者に寄り添う生活相談 

 →9団体のうち5団体が生活相談を実施。伴奏型支援を展開しているところがある
 

○これからの支援・10の柱 

・保護者の日本語学習支援 

・保護者への通訳支援、文書等の翻訳、ルビふり支援 

・母語保障の支援 

・親子間のコミュニケーションを支える支援 

・保護者の母国の教育制度や学校文化をふまえた上での情報提供 

・上級学校進学に向けた情報提供と学習支援 

・プレスクールの定着と拡充 

・生活相談の充実 

・最も困難な層への伴走型支援 

・学習支援教室間の学び合いと学習支援教室への支援
 

伴走型支援に関していえば、内閣府の「パーソナル・サポート・サービス」事業の外国人版が必要である。

2


○渡辺さん、矢沢さん報告骨子

(渡辺さん)
プレスクールとプレクラスの違い。プレスクールは、学校入学前の場。プレクラスは、入学・転入後の初期指導の場。

大和市にプレスクールを導入しようと思った時、市役所の上層部を説得するツールとして、学習指導要領が使えると思った。というのは、新・学習指導要領の中に、「グローバル化への対応」「幼稚園・小学校・中学校の連携」「特別支援教育の充実」の3つが入っていたからである。

グローバル社会の中で、外国人児童への特別な配慮が必要。また、幼稚園と小学校連携という命題がある中で、就学前教育としてのプレスクールは必要。さらに、特別支援教育の中には、言葉や文化が壁となり学習遅滞の発生する子どもが対象になる。というように説明できる。

アハペが支援する子どもの中に、幼稚圏に通っていないペルーの子がいた。発達障害の症状が見られるので、半年後に、何もケアをせずに学校に入ったら、問題が発生するだろうと思い、カウンセリングをすることにした。その結果、対応方法の見通しがついた。

(矢沢さん)
2009年度に、文科省の「虹の架け橋教室」が始まり、同時に、プレスクールを開始した。2009年度・2010年度は、アハペが単独で実施。

プレスクールに参加した子どもは、のべ16名。毎回6・7名が参加。愛知県が作成したプレスクール運営マニュアルが大変参考になった。 

私(矢沢さん)の見立てでは、小1入学時で、ひらがなが読める・書ける子どもは9割。小学校の先生は、ひらがなは小1で教えるので、入学前指導は不要と言うが、外国につながる子どもの場合、入学してから学んだのでは遅い。 

○プレスクールの環境整備

・子どもが次回も来たいと思える関係、空間をつくりだす。 

・子どもたち一人ひとりが、理解し身につけられるように指導する。
 

知識を詰め込むなのではなく、自分で考える、やりたいと思う、他人をまねる力をつけていくことが重要である。

語彙調査の結果、語彙力が大幅に伸びた子どもと、あまり伸びない子がいた。語彙力が伸びない要因は次の3つに集約されると思われる(サンプル少ないので、あくまで印象論)。 

・日本語ゼロスタートの子ども

・途中から日本語をスタートした子ども 

・母語が通じる環境にいる子ども
 

例えば、スペイン語話者が多い環境にいると、スペイン語で用が足りてしまうので、日本語力がなかなか伸びない。
 

プレスクール終了後のフォローアップ体制については、プレスクールを終了した16名のうち、12名は「虹の架け橋教室」に通っている。
 

○今後の課題 

・近隣他市からの申込への対応 

・保護者への対応 

・母語での対応 

・授業内容(カリキュラムやシラバス、開催時間、回数などの見直し)
 

アハペの単独事業から大和市の協働事業を変わってよかった点は、プレスクールとプレクラスがシームレスでつながること。また、NPO単独よりも、行政と協働した方が、広報力が大きい。

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以上、当日のメモをもとにした報告です。 

●感想

学習支援教室を運営するNPO・ボランティア団体と行政をつなぐこと。また、支援教室の実践から見える課題を可視化し、課題解決に向けた仕組みを創出したり、行政へ政策提案するなどのアクションを起こす人材が求められている。海外(英国や米国等)では、こうした実践は、ソーシャルワーカーやユースワーカーが担うのだが、日本の場合、福祉職は、生活保護のケースワーカーや児童相談所の児童福祉士など、施設に雇用された役割限定の専門職がほとんどで(社会福祉協議会の中に、コミュニティワーク的な働きをしている実践者はいるものの)、コミュニティに介入していく実践(コミュニティワーク)を行う専門家が重要視されていない(質・量ともに乏しい)。

これまで僕は、多文化ソーシャルワーカーという職種の制度化を考え、各所で提案してきた。また、同じような目的で、多文化社会コーディネーターという名称の専門職が提案され、東京外国語大学の中に人材育成のコースが設置されてきた。しかし、双方ともに制度化には至っていない。

最近、僕は、多文化○○という専門職ではなく、コミュニティ・オーガナイザーという、もう少し幅広の専門家を養成することが望ましいのではないかと思うようになった。一方、ユースワーカー(青少年問題に特化したソーシャルワーカー。立命館大学大学院にコースあり)への思いも消えない。現在、バラバラに展開されている近接分野の専門家養成を、もう少し統合できないものか。この辺の事情については、以前、東京外国語大学多言語多文化教育研究センター主催の研究会で発表したことがある。

★多言語・多文化ブックレット6 「文化間対立の超克を目指して-現場で考える教育と人材養成」(2007年度発行)
http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/g/cemmer/publication_03.html

今後も、時代に必要な「コミュニティ・オーガナイザー」のことについて考えていきたい。